Vino Indimenticabile – 忘れられないワイン



あの衝撃を、今もまだ、忘れることはできない。




それは、少し肌寒い日の夜の出来事だった。


ソムリエとして活躍していたマサは、イタリアワイン協会に招かれ、ピエモンテの地を訪れていた。
仕事を終えた後、一人街に繰り出し、ワイン協会の人に教えてもらった現地のワイン通が通うワインバーに行った時のことだ。


「ボナセーラ」 


ワイングラスを拭きながら、店員が丁寧に挨拶をした。
マサは軽く会釈をして、空いている席についた。

そのワインバーは、カウンターのみのお店で、現地のイタリア人と思われる男性客が1人と、ブロンドヘアの、20代後半か30代前半と思われる若い女性客が1人いた。

店内にはクラシックが流れていて、どこか固いというか正統派のワインバーという雰囲気を醸し出していた。
女性客は、何か考え事をしているような表情で、ずっとワイングラスを見つめていた。

「お客様、ご注文はお決まりですか?」


とても感じの良い笑顔で、店員がマサに話しかけた。


「そうですね、何かオススメのピエモンテの  ワインはありますか?」

少したどたどしいイタリア語で質問したマサに、店員は軽く柔らかな笑みを浮かべて答えた。

「そういたしましたら、今日は滅多に開けることのない特別なワインをグラスでお出していますので、そちらがオススメですよ」
「では、それでお願いします」

マサは、値段も何にもわからずに注文するのはまずいかな、と思ったが、現地のワイン協会の人のオススメのお店ということもあり、ぼったくられることもないだろうと、高を括って、勧められるがままにすることにした。

『まあ、恐らくバローロやバルバレスコなどの、ピエモンテで名の知れたエリアの 著名ワインなんかがでてくるのかな』と、それほど期待もせず、ワインが出てくるのをを待っていた。

しばらくすると、店員がカウンターの奥からワインボトルを持って颯爽と現れた。


「こちらが今日のスペシャルワインでございます」


そういって、もったいぶるようにワインボトルを見せてくれた。


そのワインは、マサの期待に反して、全く見たことのないワインだった。
つまりは、よく知られた著名なワインではななかった。

ボトルに書かれた文字を見ると、「Barbera d’Asti」と記されていた。


『なんだ、バルベーラか・・・』

マサは心の中で、思わずそう呟いた。曇り顔を見せるマサを気にもとめず、店員は華麗にそのワインをグラスに注いだ。


「どうぞお楽しみください」

まるで、戸惑うマサをあざ笑うかのように、店員は爽やかな笑顔で軽くウィンクをした。


その時、カウンターの端に座っていた男性客が、おもむろにマサに話しかけた。


「お兄さん、そんな上等なワインが飲めるなんて、ついてるな」


期待外れのワインがでてきたことに対する嫌味のようにも聞こえたが、マサは苦笑を浮かべながら「Grazie」と、心なく答えた。


女性客は、そんなやり取りなど気にすることもなく、ずっと自分のワイングラスを見つめていた。


『何はともあれ、今日は仕事を忘れて、出てきたワインを楽しむこととするか』マサはそう思いながら、香りも確かめずにグラスを口へと傾け、一口、そのワインを口に含めた。




『・・・!』




その瞬間、時が止まったかのように感じた。まるで、時空を超えた領域に入り込み、別の世界へと導かれたかのようだった。麗しく綺麗な女神の後ろ姿が見えたような気がした。